+R(プラスアール) 第1回 卒業から就職、そして相棒と過ごした頃

鮮やかな赤色を使う大胆なデザインの服や帽子で、熱狂的なファンも多いブランド「+R」。その独特の発想はどこから生まれてくるのか? デザイナーのNAMIさんのキャラクターにふれるべく、大阪・吹田市にあるアトリエにうかがいました。
- SOUQ
- クリエイターとしての活動はどれぐらいになるのですか?
- NAMI
- 7年ぐらいですかね。専門学校を卒業して、子供服の会社に就職しました。3年勤めて、その後1年後にブランドを立ち上げました。
- SOUQ
- 会社を辞めてから、結構早くに立ち上げたんですね?
- NAMI
- そうですね。
- SOUQ
- 元々、独立しようと思っていたのですかね?
- NAMI
- なんか、会社って3年目ぐらいで辞めたくなるじゃないですか?
- SOUQ
- そういう人ばかりではないと思いますけど(笑)。
- NAMI
- 会社に入って最初は、楽しいー!ってなるけど、だんだん慣れてきたらいろんなことを言われたりとか、なんかめんどくさくなって。うーん、辞めよかなみたいな。たぶん同級生の子たちも、だいたい辞めよかなみたいな感じで。

- SOUQ
- で、辞めた?
- NAMI
- はい。そのとき仲良かった同級生が、「私も手伝いたい」って言って、ブランドを立ち上げる前、最初は二人で服づくりを始めたんですよ。でも…1年もいっしょにやらなかったかもしれませんね。
- SOUQ
- ずいぶんと短かったんですね。
- NAMI
- そうですね。その子が、結構なんでも受け入れてくれる子で。私がバーっと言ったら、その子は「私はどっちでもいいよ」みたいな感じで。すべて私の意思で決まっていくのなら、もう私一人でいいかって(笑)
- SOUQ
- でも、そういう人が必要だって思うときもあるんじゃないんですか?
- NAMI
- 当時はなかなかすぐに売れなくて。ひとりでやっていくほうが、身軽で、自由に動けるかなと。
- SOUQ
- 服を一からつくるとなると、一人だとなかなか大変ですよね。ある程度言うことを聞いてくれる人がいたら、楽なのかなあとも思うのですが。
- NAMI
- なんか気を使うんですよね、逆に。ほんまはイヤって思ってるのに、いいって言ってるんかなとか。

- SOUQ
- ヘンに気を遣うぐらいなら、いっそ一人の方が楽?
- NAMI
- そうですね。会社勤めしていた頃も、最初上司は「やりたいことをやってごらん」って言ってたんですけど。会社もだんだん余裕がなくなってきて、ピンクが売れるんならピンクばかりつくってっていうことになり。私がつくりたいデザインに手を入れられて、私も愛着がなくなっていく。それやったら、自分がやりたい服をつくろうかなって。
- SOUQ
- 周りのことを気にせずに好きなことをやるには、一人の方がいいということですね?
- NAMI
- 最初は、一人でブランド立ち上げるぞ! というほどの気合いはなかったですけどね。服の専門学校に通っていたときも、将来、自分が子どもを産んだときに服をつくってあげられたらいいな、ぐらいの軽いノリでしたし。

- SOUQ
- 服づくりを仕事にするとは思いもしなかった?
- NAMI
- はい。子供服の会社に入ったのも、大人服の会社に就職するとなったら、無地のシックなブラウスをデザインするとかになりそうで。ああいうきっちりしたものよりは、もうちょっと遊べるかなと思って選んだというのはありますね。
- SOUQ
- 専門学校の時は、どういう服をつくってたんですか?
- NAMI
- うーん、どういうのをつくってましたかねえ…なんかひたすらプリーツを縫うとか。細かい作業が結構好きで。卒業作品のときはチームでやるんですけど、それは結構派手なやつをみんなでつくりましたね。ああいう専門学校に行ってたら、だいたいみんなパリコレ系のブランドとかに意識の高い子、特に男の子に多いのかな。そういう人はメゾンを目指したりするんですけど、私はあまり行きたいなあと思ったこともなかったですね。
- SOUQ
- 相棒といっしょにやっていた頃は、どういう服をつくっていましたか?
- NAMI
- 最初は学校で習った9号サイズの、ウエストをちゃんとホックするような服。私が当時20歳代前半だったんですけど、シルエットとしては今よりも結構タイトめで。ちゃんとした服っていうか(笑)。カタチ的には融通の利かない形ですね。生地ももう少しテロっとしてました。いまは素材は綿が多いんですけど、その頃は化繊も多かったです。ちょっと待ってください…(とブックをめくりだすNAMIさん)
- SOUQ
- たくさんブックがあるのですね。
- NAMI
- あっ、最初の頃のスケッチがありましたね。二人でやってたときので、この頃はちゃんと描いてたんですよ。このときはウォーリーみたいにしようということで、ボーダーにした。二人でいっしょにやったのは、このときだけですかね。

- SOUQ
- きっちりやってたんですね?
- NAMI
- はい。相棒がパタンナーだったので、きっちりミリ単位で線を引いてくれてましたから。私が「バーって引いて、適当につなげたらいんちゃうん?」って言っても、「いや、こことここは、ちゃんとこういうふうにつなげて、みたいな(笑)。
- SOUQ
- ブックを一通り見てみると、やはり二人でやっている頃の作品が異質な感じはしますね。
- NAMI
- そうかもしれない。ちゃんと服をつくってますね。二人のときにファッションショーを1回したんですよ。もう懲りましたけど(笑)。
- SOUQ
- 懲りた?
- NAMI
- ツイッターで、新人デザイナー募集!クラブでファッションショーしませんか? という告知があったんですよ。で参加者を見ると、友達が結構出てたんで参加することになったんですね。
- SOUQ
- おもしろそうじゃないですか。
- NAMI
- アメ村のクラブでやったんですけど、ファッションショーって大変でした。モデルの手配やリハーサルの練習会場探しも自分たちでやらないといけないし。そのときの衣装はこれなんですが…(写真を見せる)。スタイリングをして、で解散ですね(笑)。

- SOUQ
- コンビ解散の理由に、そのファッションショーも原因があるんですかね?
- NAMI
- あるかもしれませんね。大変でしたから。

取材・文/蔵均 写真/桑島薫
相棒との別れがあったNAMIさん。そこからファッションの世界でどのような活動をすることになるのか。次回第2回は、「+R」の立ち上げについて話を聞いていきます。