長谷川義太郎さん 第1回 金にならない仕事はおもしろい!

さまざまなクリエイティブの現場で活躍する、トップランナーに話を聞くスークインタビュー。今回は、1974年にオープンして、2015年に惜しまれながら突然クローズした「文化屋雑貨店」のカリスマ店主だった長谷川義太郎さんが登場。みんなから“タロウさん”と呼ばれ、多くの人を魅了するその生き様とお人柄に触れていきます。
- SOUQ
- 今でこそ雑貨屋というと、かわいくてセンスのいいものがいっぱいというイメージが定着してるのですが、「文化屋雑貨店」がオープンした1975年頃には、今言うところの雑貨という言葉はあったんですか?
- 長谷川
- 全然なかったですね。雑貨店というと、当時は釘やホースを売ってる店という概念しかなかった。
- SOUQ
- 日用雑貨の世界ですね。
- 長谷川
- 渋谷に出店した最初の頃は、店の近くに社会保険事務所があったんですけど、店の看板を見て、「ハンコください」って客がよく来ましたよ(笑)。
- SOUQ
- そんな時代にあって、雑貨の概念をつくっていったのが「文化屋雑貨店」と言えますよね。
- 長谷川
- 一橋大学に松井剛っていうマーケティングの先生がいて、日本の雑貨文化を研究してるんで最近追っかけられてるんだけど(笑)、「ZAKKA」という言葉が、世界で翻訳できないって言うんですよ。世界ではそういう概念がいままでなかったから。ファンシーだったり、フォークロアだったりデザイングッズとか、細かく分けるといろんな分野があって、そういうものも全部雑貨なんだけど、ボクがつくった「ZAKKA」という概念が世界にない。

- SOUQ
- 「文化屋雑貨店」は、独特の世界観がありましたからね。
- 長谷川
- 外国人に「この店は何屋だ?」って聞かれたときに、ジェネラルストアでもないしグロサリーでもない。じゃあなんなのって説明できないんですよ。JUNKがいちばん近いかなというぐらいにしか言えなかった。そこにカルチャーがあったり歴史があったり、エロもあるしなんでもあるし、というのをひと言では言えないわけですよ。
- SOUQ
- 本当に、玉虫色のようにいろいろなアイテムが登場しましたもんね。ものを選んだりつくったりするのに、タロウさん的な基準はあったのでしょうか?
- 長谷川
- うーん、まるっきりなかったでしょうね。
- SOUQ
- とにかく面白ければいいとか?
- 長谷川
- おもしろいという感覚かなあ…なんなんだろう? あれはね、難しい。説明しにくい。ただ日々変わっていたんです。だから長くできたんじゃないか。たとえば無印良品なら無印良品で、一つの概念を逸脱しないじゃないですか。ずっとその中にいる。でもボクらは、今日オーガニックだったら、明日はプラスチックみたいなことをできるんですよね。

- SOUQ
- ある意味概念がなかった?
- 長谷川
- そう。オープンした頃、雑誌の取材が来ると、最初の質問がすべて「コンセプトはなんですか?」なんですよ。「うちコンセントはあるけど、コンセプトはねえんだよ!」ってね(笑)。うちは横のつながりでできてるんで、コンセプトなんてありゃしない。それが売りだったんですよ。
- SOUQ
- 確かにあの頃、みんな口を揃えてコンセプト、コンセプトって言ってましたね(笑)。
- 長谷川
- 虎屋の羊羹みたいに、ずっと同じことができないんだよね。やっぱり次おもしろいものをめっけるじゃないですか。それがもう上になるんですよ。デッサンをするとき、前の日描いたものを消さないと次が描けないじゃないですか、あっという間に次にいかないとダメなんですよ。
- SOUQ
- なるほど。常に新しい絵を描いていってるわけですね。
- 長谷川
- 一橋の松井先生と会ってよかったと思ったのは、解析してくれるんですよね、いろんなことを。先生が言うには、「文化屋雑貨店」は、お客にインテリジェンスを求めてたと言うんですよ。それ、オレの口からは言えねえなあって(笑)。そういうのを平気で言えるんですよ先生たちは。

- SOUQ
- 買う側の知性かあ…。
- 長谷川
- 研究者っていうのはどこにも所属しないんですね。完全に自分の概念と世界を外から見てる。あれはすごいなあと。それで気がついたのは、自分はものとしての雑貨だけにこだわってないということ。そのときにたまたま吉本隆明の『夜と女と毛沢東』っていう本を買ってきたんだけど、それ読んでたら、これ雑貨だと思ったんですよ。
- SOUQ
- 毛沢東といえば、バッジとかの商品も売ってましたね。
- 長谷川
- 毛沢東に関しては、完全に忘れられちゃうと思ったからね。あのキッチュ性みたいなものや確実に歴史を変えた事実を表に出していこうと思った。当時、香港でイラストレーション・ワークショップというのをおこなっているアーティストたちがいたんですよ。文化屋雑貨店でも販売していたんですけど。
- SOUQ
- そんな方々がいらっしゃったんですね。
- 長谷川
- 店を始めて5、6年ぐらいの頃、11人の香港人が来たんですね。イラストやってるやつ、ヘアカットやってるやつ、デザインやってるやつとか。ほとんどの子がゲイで、みんな年下の彼氏かなんか連れてきて。こいつらいったいなんなんだ!と思いましたけど(笑)。彼らが毛沢東をやってたんですよ。
- SOUQ
- どういうふうにやっていたのですか?
- 長谷川
- 毛沢東のポストカードをつくってるんだけど、ベロが異様に大きいの。二枚舌みたいなね。もうその時代に中国とちゃんと闘ってるんですよ。それをつかまえていったら面白いと思いましたね。今ではみんなそれぞれの分野で偉くなってますよ。


- SOUQ
- ものづくりの底には、時代や社会背景咀嚼とかがあるんですね。

- 長谷川
- ボクらがやってきたことは、表面的なものじゃなくて、中身を追っかけてたような気がするんですよ。だから40年もやれたんじゃないか。表面上のフェースはすごくいろんなものがあって。もうめちゃくちゃなんですよ。いろいろ片寄ったりしている。あるときは宗教に、あるときはファッションに。でも40年間ずっとランしてくると、「あれは文化屋だ」ってみんなに言われるんですよね。
- SOUQ
- 文化屋らしさの一つに、安さというのもあると思うのですが。
- 長谷川
- チープシックの特集なんかではよく出てきてましたね。リーズナブルにしようとは常に言っていて。原価がいくらかを知ってたら、この値段になるというのがわかるじゃないですか。材料というのもボクらはよく見てたから、釘1本いくらかというのがわかる。そうすると、これぐらいの板なら300円もしないよなあと全部わかっちゃう。そこからリーズナブルという答えが出るわけです。
- SOUQ
- 多くのヒット商品が生まれましたけど、これだけ売れるならもう少し高くしてもいいか、とは思わなかったですか?
- 長谷川
- それはなかったですね。こないだ学生時代ぐらいに書いた日記を見ると、「貧乏がいい」って自分で書いているんですよ。なんなんだそれって(笑)。
- SOUQ
- なにか達観していますね。

- 長谷川
- 金になる仕事ってつまんないんですよね。今、店辞めて、金になんない仕事くれって言うと、すげえおもしろい仕事がくるわけ。おもしろいことをやるには、金になんないほうがいいんですよね。どこに分岐点を置くかなんだけど、みんなそれを上げすぎてるんじゃないか? 全部金にならないとイヤだってなってて。それを一度下げてみたらいいと思うんだけどね。
- SOUQ
- なかなか難しいのかもしれないですけどね。
- 長谷川
- バカなこととか金になんないことはやりますよ。金になることはダメなんですよ。どうしてもいろんな規制が入ってくるわけじゃないですか。たとえばスポンサーだって入ってくるだろうし。金になんないことをやると、好きなことをできるんですよ。簡単ですよね。楽しいことができる。
取材・文/蔵均 写真/東泰秀
日本の雑貨文化をつくってきたタロウさん。次回第2回は、タロウさんに衝撃を与えた、伝説的なタブロイドと「文化屋雑貨店」創世期のクリエイター事情について聴いていきます。