長谷川義太郎さん 第3回 モノを探す、売る、つくること

1974年に「文化屋雑貨店」を立ち上げ、約40年にわたって、渋谷や原宿のカルチャーシーンを引っ張ってきた、タロウさんこと長谷川義太郎さん。インタビュー3回目は、東京・神保町の「(元)鶴谷洋服店」を飛び出して、神田界隈の街へと繰り出しました。
- SOUQ
- このあたりは、タロウさんにとってなじみのある街なんですか?
- 長谷川
- ボクは千葉の牧場で生まれて、下町で医者の息子で育って、小学校が番町にあり、麹町中学に行って。成蹊学園の高校から武蔵美に行ってるので、東京じゅう走り回ってるんですよね。あっ古本屋がありますね。
- SOUQ
- 『芸術の哲学』、『絵は愛なり』…なかなかおもしろいタイトルの本が揃ってますね。
- 長谷川
- すごいですね、この本が500円ですよ。古本屋は全然面白くて安い本を売ってますよ。これは、ボクらがどっからかコップを見っけてきて、100円で売ってるのと同じようなこと。
- SOUQ
- それはどういうことでしょう?
- 長谷川
- たとえば大手がガラスコップを売るとき、最低でも150円するわけですよ。でもちょっと名古屋をクルマで走っていたら、これすげえなっていう切子みたいなコップが100円で売ってるわけですよ。こっちの方が全然上なのに大手の方が高いわけですよ。単行本も新刊だと1,000円ぐらいするでしょ?
- SOUQ
- もっとしますね。
- 長谷川
- それを500円で売ってるわけですから。内容は変わんないわけでしょ? そりゃすごいですよね。

- SOUQ
- 「文化屋雑貨店」は本当に、どこからともなく、おもしろいモノを見つけてくるのがうまいなあと思っていたんですけど、あれはどうやって探すんですか?
- 長谷川
- 最初の頃はクルマで日本じゅう走り回っていたんですよ。ぐるぐる回りながら商店街とかで停まって、2時間ぐらいかけておばあちゃんと交渉して、このガラスの金魚鉢全部くれとかね。倉庫まで行って手伝ったり。そういうのが多かったんです。
- SOUQ
- 草の根活動ですね。
- 長谷川
- それをほとんど一人でやってたんですよ。お店は相棒に任せて。ちょっとハードでしたね。肉体的に過酷。陶器などをたくさん運んだり。でもやりたいことをやってたので、そんなに辛くはなかったですけどね。最初はモノを探すのが第一義的にあったんですね。
- SOUQ
- かなり重労働だ。
- 長谷川
- セルロイドの筆箱を大垣でみっけて仕入れて、次またおばあちゃんのところへいくじゃないですか。そうしたら「あれもうないわよ。なんとかという雑誌に出たらしくてね。中学生の子がみんな買っていっちゃたわよ」って(笑)。

- SOUQ
- 「文化屋雑貨店」のアイテムとして雑誌に紹介されたんですね?
- 長谷川
- うちの商品が『anan』とかに載ると、再流通しちゃって。おばあちゃん大喜びですよ。モノの再流通はうれしいことだけど、探すということは、自分たちで自分の首を締めるという側面はありますね。内緒にはできなくなるから。
- SOUQ
- どんどん掘り尽くされていく…。
- 長谷川
- そう。だから次は問屋を回り始めたんですよ。それが結構うまくいって。在庫を持っていて潰れそうな問屋がいっぱいあったんですよ。新しい商品は買わないんだけど古いのはどんどん買った。蔵前のおもちゃ問屋のブリキのおもちゃとかすごかったですよ。いろんなモノの再活が、マスコミで紹介されて価値観を高めることによって動き始めた。うちだけが儲かったわけじゃなくて、他の人の方がもっと儲かるわけですから。
- SOUQ
- みんなハッピーになりますね。再活という意味では、蔦谷喜一(※1)さんのぬりえも「文化屋雑貨店」の人気アイテムだったんですが、あれはどういう経緯で日の目を見るようになったのですか?

- 長谷川
- 築地の菊地信義(※2)さんのデザイン事務所にいたとき、あの頃は写植というのがあって、それがあがってくるのが夜の8時頃で、そこから作業をやり始めるんですね。そうするともう終わるのが夜中の3時、4時。
- SOUQ
- 今みたいに、デザインはmacのデスク上でなんでもできたわけじゃなく、写植や版下を使ってやってましたもんね。
- 長谷川
- そうすると、昼間寝てからあのへんを散歩してるわけですよ。そしたら駄菓子屋がいっぱいあって。喜一さんの絵の袋が棚の下の方に埃まみれで埋もれてるわけ。それをかき集めて買えるだけ買って、デザイン事務所に持って帰って壁に貼って、“ひとり喜一展”っていうのをやってたんですね
- SOUQ
- もはやキュレーターですね(笑)。
- 長谷川
- そうすると原田治(※3)さんとかが「これいいね」って言うから、「はい一袋50円って」(笑)。マミイ人形なんかもそうだなあ。浅草のお土産屋さんで売れなくなってるんですね。それを事務所に飾っといて。そうしたら訪れたデザイナーとかイラストレーターとかが買っていくわけですよ。考えたら、あの頃から商売してたんだなあ
- SOUQ
- それが「文化屋雑貨店」のルーツですね。

- 長谷川
- いや、その前に、親父が死んだときに“病院バザール”をやったんですよ。女性用の尿瓶とかも全部売ったりして。レントゲン写真なんてアート的にすごいおもしろいんですよ。それを1枚50円で売ったらボコボコ売れるんですよ。多摩美の彫刻をやってるやつとか喜んで買って帰りましたね。そんなの普通手に入らないですから。需要があれば、どんどん売れるんだなってそのとき気づきましたね。
- SOUQ
- でも、そのレントゲン写真にしても、喜一さんの絵にしても、だれも見つけられない。気づけなかったわけですよね?
- 長谷川
- そうですね。世界の歴史ってそれなんですね。マルセル・デュシャンは便器持ってきただけですよ。それでアートっていうわけでしょ。でもそれが世界を変えたわけじゃないですか。オレはデュシャン知らないけど、デュシャンをやってたわけですよ。つまり、みんなが価値があると思ってないものに価値観を見つけた。だからちっとも偉くもなんともないわけですよ。
- SOUQ
- それを見つけられるのはすごいと思いますけどね。

- 長谷川
- 便器をつくった人が一番偉いんですよ。でも、これを違う範疇に持ってきたデュシャンも偉いんですよ。たとえば小説家だったら小説家で、そういう人がいればいいんです。みんながつまんないと思ってるアイウエオというものを、ひっくり返すだけですごくよかったり、光を与えるだけで違う言葉に見えたらそれがすごいことになるんですよ。その概念をだれが最初にやるかなんですよ。
- SOUQ
- 少し視点を変えるだけで、新しいものが生まれるわけですね。
- 長谷川
- 次の新しいことをやらないとダメなんですよ。文化屋はそれをやってきたおかげで40年続いたんです。最初と最後でやってる商品がまるで違いますから。これからの物販の課題というのは結局そこだと思うんです。オタクがもてはやされたときは世の中はそういう世の中だったわけじゃないですか? でも今はオタクだらけだから、もう周りが変わってるわけですよ。そこで、オタクやってもしょうがないんじゃないですかね。そこがなんか図々しいというか、ずっとやってますよね。そこは変えたいですよね。ていうか、自分が変わりたいんでしょうね。
取材・文/蔵均 写真/東泰秀
(※1)画家・ぬりえ作家。昭和15年からぬりえの仕事を始め、「文化屋雑貨店」には、58歳から亡くなる91歳までぬりえを提供し続ける。
(※2)グラフィックデザイナー。さまざまな装幀を手がける。長谷川さんは、3年間菊池氏の元で働く。
(※3)ミスタードーナッツやカルビー・ポテトチップスのキャラクターデザインで有名なイラストレーター。
埋もれていた価値観を、だれよりも先に見つけて世に広めていったタロウさん。「文化屋雑貨店」を2015年に閉めてから、今はどのような活動をされているのでしょうか? 次回最終回は、そのあたりの話を聞いていきます。
トライギャラリーおちゃのみず
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