シオネ(SIONE) 第2回 意外な過去!?ものづくりを志すまで

凛とした空気をまとった白磁の器を展開する「SIONE」。今回は作家の河原尚子さんに、ふだんはあまり語られることのないご実家のこと、そして、彼女がものづくりの道を歩むまでの意外なストーリーを聞きました。
- SOUQ
- ご実家は京焼の窯元とうかがいました。
- 河原
- はい。330年続いている窯元なのですが、先祖に宮川香山という陶工がいて、私が一番影響を受けた作家なんです。横浜に移り住んで、土から全部探して輸出用のうつわをつくったという偉人で。その流れで京都は続いていまして、父で6代目になります。
- SOUQ
- どんなところで育たれたんですか?
- 河原
- 小さいころは職人さんがいっぱいいて、居間にはいつもだれかの目がある生活でした。
- SOUQ
- うつわがすぐそばにある環境で育ったんですね。
- 河原
- 修業で一時、家を出ましたけど、結婚するまではほぼ実家に。

私も、なにかをつくる人に。
- SOUQ
- 大学は京都の美大?
- 河原
- いや、日本文学部なんです。
- SOUQ
- あ、てっきり美大かと。
- 河原
- 父親から「焼きものはやるな」と言われて育ってきたので。
- SOUQ
- えぇー(驚)。
- 河原
- 親族に焼きもの屋がめちゃくちゃ多いんですよ。ほぼ全員みたいな感じで。兄もいるので、だったらお金持ちのところにでも嫁いでくれたらと父が。
- SOUQ
- 箱入り娘だ。
- 河原
- でも、あまりそういう感じでは育たなかったみたいで(笑)。
- SOUQ
- 反抗期じゃないですけど、私も何かをつくりたいと。

- 河原
- 幸せは1つじゃないと思ったんですね。嫁いでその家を守るというのもいいですけど、自分に力をつけたいという独立精神みたいなものが芽生えて。
- SOUQ
- なるほどー。「自由にしろ」って言われてたらまた違ったかもですね。
- 河原
- そうですね! それはあるかもしれない。
- SOUQ
- あ、でも、小さい時にお手伝いとかは。絵付けの真似事とか。
- 河原
- 土で粘度遊びとかはしていました。でも、母の時代は、女は工房に入るな!という感じだったみたいで。不思議な家でしたね。他の窯元ともちょっと違うと思います。でも、私の中の何分の一かは実家でできあがっているから、そういう経験をさせてもらったことをありがたいと思っています。

うつわの世界の扉を開ける。
- SOUQ
- では、大学を卒業してから佐賀県に?
- 河原
- あ、それは違うんです。短大では日本文学を学んでいたんですけど、卒業後にどうするかとなって。でも、「焼きものはやるな」って言われて育ってきたので、それだけはやってはいけないと思っていたんですよ。こう見えて、実はとても素直なので…(笑)。
- SOUQ
- 幼少期から刷り込まれていたら、どうしてもね。
- 河原
- そうなんですよ。でも手に職をつけたくなったので、美容院でバイトをしたりしてて。で、その当時、すごく仲のよかった友人のお父さんから「あんたの家は窯元らしいな、なんであんたは焼きものやらへんの?」って言われて。あー、でもーって言ってたら、「やったらえぇよ。こんなにありとあらゆる技法があるんやで」といろいろ教えてくださって。

- SOUQ
- その方は陶芸の関係の方だったんですか?
- 河原
- いや、そうではないんです。プロダクトデザイナーの方なんですけど、その方が言ってくださったことが、心にぽんと響いて。
- SOUQ
- なんでやらないの?という言葉が。
- 河原
- そう、すごくシンプルな問いですよね。やっていいんやって。それですぐに家に帰って、父にやりたいんやけどって話をしたら、「えぇ!お前にできるか」とか言ってましたけど(笑)、顔はちょっと笑っていたので、大丈夫かなと思って。それで卒業後に京都の陶芸の訓練校で2年、釉薬や絵付けを学びました。
- SOUQ
- 作家としてのスタートラインに立ったんですね。
- 河原
- でも、2年後にまた悩むんですよ。実家では家の腰掛け的に絵付けを習って、お見合いみたいな雰囲気になっていたから。
- SOUQ
- お父さん、よっぽどお嫁に行って欲しかったんですね(笑)。
取材・文/吉田志帆 写真/桑島薫
河原さんの想いも寄らぬ過去に驚きを隠せなかったSOUQスタッフ陣。次回・第3回では、後に「SIONE」の根幹となる佐賀県・有田での日々に迫ります。
Creator/Brand

陶磁器
SIONE(シオネ)
日常を非日常に切り替えることをコンセプトに、「SIONE」は“読むプロダクト”を提案。 白磁に金彩、繊細な線描きが特徴的なうつわを中心に展開しています。