あわびウェア(Awabi ware) 第2回 珉平焼と淡路島のこと。

東京で美大に通うころ、民藝への興味を持ち始めた「あわびウェア」代表の岡本純一さん。故郷の淡路島に戻り、島の伝統的な焼き物・珉平焼きに出会います。「あわびウェア」が誕生するのに影響を与えたという郷土のうつわ、そして淡路島について語っていただきました。
- SOUQ
- 東京から淡路島に移られたのは、いつ頃ですか。
- 岡本
- 淡路島に移住したのは8年前ですね。6年半前にこことは違う場所で陶芸を始め、今の工房に移ったのは2年半前です。
- SOUQ
- 「あわびウェア」さんは地元の珉平焼を参考にしているということを聞いたのですが。もともと淡路島の民藝なんですかね?
- 岡本
- 民藝とはちょっと違うと思います。
- SOUQ
- 珉平焼とはどういうものか、教えてください。

- 岡本
- 珉平焼というのは、江戸時代後期に賀集_平という陶工が淡路島で始めた焼物で、京焼で修業して、淡路島に帰ってきて窯元を開いています。そのときは、どちらかというと芸術家ですね。
- SOUQ
- 作品志向だったわけですね。
- 岡本
- その頃は陶芸家という言葉はなかったと思うんですが、なんというのかな…焼物屋とか焼物師とでも言ったのでしょうか?
- SOUQ
- 焼物師としておきましょうか。
- 岡本
- 当時は、各藩にそれぞれ焼物師がいて、珉平は阿波藩お抱えだった。中国の焼物や、安南というベトナムの焼物の写しなどをつくっていました。
- SOUQ
- 海外からの影響を受けてたんですね。

- 岡本
- そうやって、当初は1点ものをつくってたのが、珉平の孫が工房にしたんです。そこで大量生産をはじめて、こういう変わったうつわをたくさんつくりはじめたんですよ。それがどんどん工業化していって、輸出用とかにつくるようになった。
- SOUQ
- 結構たくさんつくってたんですかね?
- 岡本
- めっちゃつくってましたね。1,100℃ぐらいでしか焼かないので、軟質陶器といって弱いんですが、バンバンつくれるんですよね。
- SOUQ
- 軟質陶器?
- 岡本
- はい。軟質陶器というのは、鉛釉と言う鉛を原料とした釉薬をかけて、低火度で焼きます。今だと鉛は有害なんで法律的に使ったらダメなんですけど、昔はそういう規制もなかったので。
- SOUQ
- 鉛の釉薬を塗ってたんですね。
- 岡本
- そうです。鉛を混ぜた釉薬の特徴が、こういう鮮やかな発色なんです。
- SOUQ
- なるほど、珉平焼きの鮮やかな色は、鉛からきているのですね。
- 岡本
- それで800℃から900℃で溶けるんですよ。サッと焼けるんで、コストもかからないし、たくさんつくれたんだと思います。でも弱いです。

- SOUQ
- 珉平焼のカラフルな色合いは「あわびウェア」にも通じるものがあると思うのですが、そのへんの研究もされたりしたのですか?
- 岡本
- 軽くはやりました。今は禁止されている鉛釉を使わずに、ああいう色を出せるかなと実験してみましたが、結構難しい。同じような色はつくれますけど、あそこまでパッキとした色を出すのは難しいですね。

- SOUQ
- 今地元の方は、珉平焼に対してどう思ってるんでしょうね?
- 岡本
- どうでしょう…。珉平、珉平って言ってるのは、お茶やってる人ぐらいかなあ。ボクもお茶やってますけど、地元の芸術家の道具を取り入れたりするんですよ。珉平焼はそういう道具もたくさんつくっていたので。
- SOUQ
- 今、淡路島では、陶芸家の方は多いのですか?
- 岡本
- 陶芸家はちょくちょくいます。たぶん環境がいいからでしょうね。
- SOUQ
- ものづくりの環境としていい?
- 岡本
- いいですね。ボクも東京から帰ってきて、気に入ってます。
- SOUQ
- ここに移ってくる前は、もうちょっと小規模なところで工房をされてたんですか?
- 岡本
- いや、前のところも結構デカかったんですよ。関西看護医療大学の使っていない校舎を丸ごと貸してもらって。教室7部屋ぐらい借りてましたね。
- SOUQ
- へえ、7教室というとかなり広いですよね。
- 岡本
- 工房で使っていたのは2部屋ぐらいでしたけどね。それ以外はワークショップをしたり、展覧会を企画してみたり。そういう活動もちょくちょくやってました。

- SOUQ
- それは、今もやってらっしゃるんですか?
- 岡本
- 最近はやる場所がなくなったのでやってないですね。最近思うのは、環境によってやることが変わってくるなということ。自分がやりたいことよりも、環境が人を動かすというか。
- SOUQ
- それ、すごくわかるような気がします。
- 岡本
- 出会いとかもそうですけどね。
- SOUQ
- 確かに、教室5部屋分が空いている環境があったら、なんかしなきゃいけないとという気になるかも。ワークショップはどういうことをされてたんですか?
- 岡本
- そのときは、過渡期だったのでアート寄りのものが多かったですね。アーティストに来てもらって、「あわびと子ども美術館」という子どもをテーマにしたプロジェクトを進めたり、いくつかやってました。

- SOUQ
- 参加されるのは地元の方でしたか?
- 岡本
- そうですね。演劇をやったり、映画の上映会もやってましたね。
- SOUQ
- 演劇は地元の劇団が出演して?
- 岡本
- この時は東京から来ていただきました。そのときやったのは電話劇だったんですが、展示会場に電話ボックスが置かれていて、そこに電話番号が書いてあるんです。ダイヤルしたら役者につながるという仕掛けで。
- SOUQ
- へえ、おもしろそうですね。
- 岡本
- 会場が4階の教室だったんで、窓から周りが見渡せるんですね。電話口からは、たとえば淡路島が空港建設予定地になってた時代の話をしてくれるんですよ。窓からはその予定地だったところが見えるんですね。
- SOUQ
- 劇と実際に見える風景がつながる。
- 岡本
- そう。当時のデモの音声を流したり、その場にいるような臨場感があって。淡路島の歴史を巡ることができる劇で、おもしろかったですね。

- SOUQ
- それから、焼物へと移行されていったんですね?
- 岡本
- 展覧会などをやっている傍ら、陶芸教室も始めて。陶芸教室をやりながら、2、3年ちょこちょこうつわをつくっていて。そのうち「あわびウェア」という分業のカタチが徐々にできてきたので、ブランドをつくりました。2012年だったかな、「瀬戸内生活工芸祭」というクラフトフェアに初めて出て。そこから陶芸にシフトしていきました。
- SOUQ
- じゃあまだ始めて6年ぐらいのもんなんですね。
- 岡本
- 「あわびウェア」という屋号で始めてからは、それぐらいですね。
- SOUQ
- 屋号のあわびは、“淡路島の美しさ”ということですよね?

- 岡本
- はい。そのように説明していますけど。本当は違うんです。
- SOUQ
- えっ、違うんですか?
- 岡本
- 大きくは違わないんですけど。さっき言った展覧会やワークショップを企画していた団体の名前が、淡路島美術大学っていうんですよ。略して“あわび”。そこからもらってるんですよ。でも淡路島美術大学というのを説明していると面倒だしよくわからないので(笑)。
- SOUQ
- “淡路島の美しさ”でいいですね(笑)。そこからたった6年の間に、大きくなってきましたね。
- 岡本
- うめだスークさんのおかげです(笑)。『100年後に残したいもの』というイベントに呼んでいただいて。それがきっかっけで年に1回ぐらいイベントに参加するようになって。

- SOUQ
- うめだスークでのイベントは、女性客が走り込んでいますね。
- 岡本
- ほんとですか? 1回目のイベントのときは、結構お客さんが来て並んでくださってましたけど、ボクは、会期中は最後まですべてのアイテムが、売り切れずにちゃんとあるというのを目指しているんですよ。作品とは違って生活道具なので、たくさん買って使ってほしい。お客さんがどれだけ殺到しても、最終日でもちゃんとあれば、初日に駆け込まなくても済むので。
- SOUQ
- それはありがたいですね。
- 岡本
- それで、最近はそんなに並ばずに買えて、ゆっくり見れます。1時間でも2時間でも見てる人はいらっしゃるし。そういうふうに「あわびウェア」と接してくれたらうれしいですね。
取材・文/蔵均 写真/桑島薫
淡路島の古い焼物・珉平焼きにインスパイアされて生まれた「あわびウェア」。次回第3回は、現代の生活にあったうつわとはどういうものか? この秋リリースされたばかりの新アイテムの情報もお届けします。
Creator/Brand

陶芸家
Awabi ware(あわびウェア)
受け継ぐ器をコンセプトにした日用食器のブランドです。江戸後期から明治期に栄えたみ珉平焼(淡路焼)の制作スタイルに学びながら、生活道具としての器をつくっています。